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     VOL.110/ 2 0 1 4.5 .30 (FRI) 発行

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コラム「タイの政治混乱とASEANシフト」

 昨年来、タイが政治的に混乱した状況が長期化し、今年初めにはインラ
ック政権に反対する反政府勢力が、首都バンコクの主要道路をバリケード
などで封鎖するような事態になった。筆者が2014年3月上旬に現地を訪問
した際には、幸運にも道路封鎖は解除の方向に向かっていた。しかし、か
つて数々あった軍事クーデターとその解決のプロセスとは違い、その出口
は以前よりはるかに遠いようだ。そして先日5月7日には、「神の声」と揶
揄される憲法裁判所の判決によって、人事不当介入という理由でインラッ
ク首相は失職し、失職後もコメ担保融資問題で告発される見込みとなって
いる。5月20日には陸軍により戒厳令が発令され、5月22日にはついに8年
ぶりのクーデターに発展した。陸軍の置かれた立場も微妙であり、この先
さらなる混乱、衝突も予見される。
 この20数年ほどのタイの政治を見ると、@タクシン(元首相)政権以前、
Aタクシン政権下、Bタクシン亡命後、の3つの時期に分けられるだろう。
タクシン以前の90年代では、軍事クーデターが頻発し、軍の戦車がバンコ
クを威圧する状況も見られた。しかし壮年期であったプミポン国王に対す
る国民の敬愛と求心力は圧倒的に強く、政治的危機も最終的には国王が調
停者として乗りだして来ることを誰もが予想し、また期待した。これが20
01年のタクシン首相の登場によって大きく変化する。タクシンの経済政策
「タクシノミクス」は、良く言えば農村振興と農村部低所得者への手厚い
支援、あるいはASEANを牽引するような外交政策などであった。反面、負
の部分としてはバラマキ施策と強権、汚職、縁故主義などは、従来のタイ
の既得権益者、エスタブリッシュメントへの大胆な挑戦と受け取られ、そ
してタイ王室を頂点とする保守的価値観を揺るがすような変化でもあった
と考えられる。タクシンは2006年のクーデターによって国外追放されるが、
その後の選挙によって実妹インラックが2011年首相についたことで、タク
シンによる実質的な政権支配は続いている。タイ貢献党あるいはタクシン
派は、農村部などの熱狂的とも言える支持によって総選挙には圧倒的な強
さを誇っている。しかし昨年11月の恩赦法可決でタクシンの帰国を強引に
可能にすることを政権が目指したため、今年2月におこなわれた総選挙では、
反タクシン派による選挙ボイコットと妨害という異例の事態になった。タ
イ憲法裁判所は、この選挙を無効とする判決を下したことで、7月にはやり
直し選挙を実施するとされているが実際におこなわれるかは不透明である。
このような前代未聞の混乱において、従来のような国王による裁定は国王
が高齢かつ病気療養中であることから難しい。また場合によっては皇太子
への承継という事態も視野に入っている。
 今ASEANシフトと言われる現象は、日系企業の中国からASEAN諸国への生
産・販売活動の移動と捉えられている。しかしながらASEAN10カ国は個々
に状況が異なっていることが特徴であり、全てのASEAN諸国に日系企業が
等しく進出をし、また進出を検討しているわけではない。ASEAN各国にお
いては、かつて多くの国で政治的な混乱とそれに伴う経済的な動揺を経験
している。その中でタイは多くの点で安定しているということが、ASEAN
諸国の中でも1980年代以降、日本からの直接投資がタイに集中したという
理由の一つであると言われてきた。よく知られているように、現在では自
動車産業を中心に巨大とも言える産業集積がタイに形成されている。しか
し安定が不安に変わった時、企業がどのような投資活動をするかについて
は極めて不透明である。特に政治状況は移ろいやすく、また感情的にもな
りやすい。今までのタイの経済的成功と日系企業はじめ外資にとって好ま
しいイメージを保てるかどうかは、現在の政治的な混乱をどう収拾するか
にかかっているだろう。



                (地域経済研究所 教授 春日 尚雄)


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