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     VOL.59/ 2 0 1 0.2 .25 (THU) 発行

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 ▽年の春季賃金交渉

 今年の春季賃金交渉が本格化してきた。
 かつては「春闘」としてかなり先鋭化した時期もあったが、労働界の再
編、さらにはバブル経済崩壊後の長期の経済停滞もあり、その後の景気回
復期にも「勢い」を取り戻すことはなかった。昭和40年代中期の風物詩
「交通ストライキ」を体験した世代には隔世の感がする。
 その賃金交渉が、今年はデフレ下の交渉として、違った意味で注目をあ
びている。
 世界経済は需要の減少で先進諸国はどこも消費者物価は低下しているが、
日本のデフレは、特にサービス価格までがマイナスになっている点で際立
っている。
 「失われた10年」といわれた期間にもデフレ局面はあったが、一般サー
ビスの下落幅は 0.3%程度が最高で、今回の下落幅はこの時の倍に達して
いるからである。
 このような情勢を受けて、 2月初旬、連合は本年春の労使交渉で賃金改
善要求を見送る方針を正式に決めた。 5年ぶりのことである。日本経済の
先行きが不透明な中で、上記のようなデフレが進行し、しかも悪化した雇
用情勢について改善の見通しがたたないという労働界にとって逆風の下、
雇用の維持・確保と賃金水準の維持とを最優先課題とする途を選択したこ
とになる。
 実際、大手組合の要求をみるとベアは殆どの企業が見送り、昨年一部に
見られた定期昇給(定昇)の凍結、実施延期に対して、定昇と一時金の確
保に焦点があてられている。
 足元で企業業績が回復していることもあり、定昇の実施はすでに織込み
とする見方もあるが、業績回復といっても大きく落ち込んだ昨年と比較し
ての話であり、完全実施には経営側の一部には依然慎重な姿勢も見られる。
 しかし、定昇確保が今年の賃金交渉の「要」と言われると違和感は拭え
ない。
 定昇とコスト増は直結するものではないからである。本来定昇は総額人
件費の中で内転するだけの話だからである。仮に22才から60歳までの従業
員が在籍していれば、60才定年に達した者が引退し、従業員は一つ先輩の
賃金水準に移動し、あらたに22才が新採用されて総額人件費は何も変わら
ないことになる。もちろん現実には個々の企業の人員構成や採用政策によ
って増減は生じるし、定期昇給といえども全てが画一的なものではない。
従業員のライフサイクル、結婚や子供の成長による家計費上昇に見合った
生活昇給(無査定昇給)もあれば、仕事や能力に対応した技能昇給部分も
あり、後者には当然査定も入り、増減要因たりうる。
 そうであっても、定昇は過去に決められてルール(これが賃金カーブ)
にもとづいて「制度」的に行われていく性質のもので、将来の定昇(賃金
カーブ)の在り方は議論の遡上に乗るが、3月末で1年経過後に実施される
今年の定昇を交渉することは理論的に無理があろう。

 不透明感が増すのはデフレ下での賃金交渉についてのルールが明確にな
っていないことも原因のひとつである。
 日本の労使はかつて「スタグフレーション」という特異な経済下での賃
金交渉を経験したことがある。経済はマイナスあるいは低成長なのに消費
者物価は上昇する、というイビツな構造の下での交渉である。昭和40年代
終わりから昭和50年代はじめ頃に典型的に見られた。「生産性基準原理」
や「実質賃金論」が盛んに議論された時代である。この時、日本の労使は
「経済整合性」重視の賃金改定を暗黙の了解事項として乗切ったが、本当
に経済整合性に見合っていたのかどうかの検証はなされていないまま今日
に至っている。
 日本の賃金交渉は、もともと「どれだけ上げるか」を議論するだけで、
職務と能力に照らして、どれくらいの賃金額水準が適正なのかを議論する
ことが置き去りにしてきた経緯がある。賃金をどのような水準にし、どの
ような制度に設計するかは日頃労使で十分に協議すべき問題で、春の 1ヶ
月間で交渉するには土台無理があるのである。制度設計(賃金カーブや定
昇)は、春季交渉から完全に切り離して、ベースと一時金により特化した
交渉が望まれるであろう。定昇も含めた「込み込み」での議論はこのさい
見直すべきであろう。
 一時金はもちろん企業業績にリンクするし、ベースは経済成長や生産性、
物価情勢によってレベルアップもあれば、これらの要因がマイナスまたは
低下した場合にはレベルダウンもあり得ることになる。
 この観点にたつと今年の春季交渉は、賃金に限っていえば、制度に基づ
いた定昇制度(定昇実施)を労使で確認(交渉ではない!)し合うととも
に、企業業績の回復に見合った一時金の要求、物価下落に見合うベースの
ダウン、経済成長(生産性向上)に見合ったベースアップ又はダウンが議
論されなければならない。
 合わせて、将来の人員計画を踏まえ、企業の競争力や日本的成果主義の
設計、従業員のライフサイクルに見合った新たな賃金制度の協議をスター
トさせるべきであろう。
            (地域経済研究所 客員研究員 奥山 秀範)





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