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     VOL.68/ 2 0 1 0.11 .30 (TUE) 発行

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成果主義を超えて

 今では死語となって商業者の口から聞くことも無くなった言葉に「商調
協」がある。
 1970年代、大型店の勃興に対して大型店と中小商業者の対立が激化、百
貨店法に代わり「大規模小売店舗法(大店法)」が制定されたのは1973年
である。大店法は、小売商業者の保護ためではなく、消費者の利益との調
整を目ざしたもので、出店調整においては地元商工会議所の意見を聴くこ
とが定められていたため、会議所の意見を決める「商業活動調整協議会(
商調協)」が設置、運営された。
 しかし、商調協は、既存の商店街や中小商店の既得権益の擁護する運用
実態(いわゆる上乗せ規制)や、また逆に、地域間競争に勝ち残るため、
進出大型店に有利な運営がなされるケースなど様々な問題が生じた。
 その後、日米の貿易格差を縮小する目的で行われた日米構造協議におい
て、米国は大店法の規制撤廃を要求し、「規制緩和」の流れが定着し、商
調協は廃止され各地で大型店の開業が進んだ。
 その結果、地方の商業は大きな影響を受け、中心商店街の衰退や周辺商
店街のまるごと消失も珍しくなくなった。もちろん、その大型店が継続し
て地域の商業機能を担う場合はさほど問題にはならないが、採算が悪化し
その後撤退する場合には、失われた地域の商業機能の回復は至難の技とな
り、現在に至っている。
 大店法と商調協の運営には、確かに問題はあったが、個人的には地域の
商業秩序維持には一定の効果があったと考えている。

 同じ頃、日本経済はバブルの崩壊に見舞われ、失われた10年と呼ばれる
時代に突入し、成長率は鈍化、グローバリズムの嵐が日本の企業経営を直
撃していた。1980年代は日本的経営がもてはやされ、米国への輸出すらさ
さやかれていたから、まさに様変わりの状況であった。日本の風土を生か
した人事制度(能力主義管理)は、この時重大な岐路に立たされた。日本
では会社内で自由に仕事が変わる(異動)から、仕事だけで賃金を決める
ことはできない内部労働市場である。米国は仕事(成果)で賃金が決まる
から、仕事を変えず会社を選択する社会であり、仕事は変わっても会社は
変わらない日本とでは根本的に相違するが、この実情を無視されたといえ
る。
 実はこれ以前にも、例えば戦後の占領下や特定の時期に、米国式賃金・
人事制度の導入が働きかけられたことはあったが、実情に合わないとして、
労使はその都度これを跳ね返してきた。しかし、この時期、グローバリズ
ムの美名がこれを押し切り、日本の企業は外資系コンサルタントの「成果
主義」に覆われ、トップダウンでの導入がすすんだ。グローバリズムとい
っても内実は米国基準に過ぎないことはあまり問題視されなかった。
 能力主義は確かにコストが嵩む。たとえ仕事が変わらなくても能力が伸
びれば賃金は上昇するし、能力主義管理は何よりも継続的な能力開発や教
育訓練を行ってこそ実をあげることができるが、当然のことながらそれら
はコストに影響する。経済の伸びが停滞し、生産性も低下する下で、企業
の国際競争力に懸念を抱いた経営者が多かったのも事実であろう。しかし、
成果主義に転換した企業は必ずしもうまく行かず、2000年代半ばから揺り
戻しが起きてくる。

 幸いにして、成果主義は、大店法廃止とその後の無秩序な大型店の進出
による地域商業機能の破壊ほどには、日本の賃金・人事制度を壊すことは
なかったと考えている。成果主義まっただ中の1999年においても、長期雇
用についての意識調査では「良いことだと思う」「どちらかといえば良い
事だと思う」が7割をキープしていたからである。
 また、成果主義の導入も決して無駄ではなかったのだと思う。能力主義、
職能資格制度と言っても、その中身は能力の定義は曖昧で能力の評価も十
分に行わず、年功的運用の「名ばかり能力主義」が跋扈していたからであ
る。これらの企業にとって成果主義はショック療法の役目を果たしたこと
は間違いない。今後、日本企業の賃金・人事制度は成果主義の教訓を踏ま
え、能力主義をベースにしながら業績評価を整備し新たな制度設計に向か
っていくものと考えられる。

 かたやグローバリズム(米国基準)はどうであろうか。
 11月 2日の中間選挙で歴史的ともいうべき敗北を喫した民主党オバマ政
権。ティーパーティ運動は財政バラまきや金融の量的緩和が、問題の解決
には決してならないとオバマ政権を攻撃した。自由競争の原則を貫徹し、
倒産や失業を放置し、社会の新陳代謝をすすめることが経済再生への道と
いう「小さな政府」の主張である。しかし、民主党オバマ政権は敗北後も
これまでの政策を修正せず、直後に何十兆円もの通貨をバラまく量的緩和
政策に再度踏み切った。リーマンショック以来一体どれだけのドルがばら
まかれたであろう。これらは必然的にドルのさらなる威信低下、ドル安を
招くし、現にそうなっている。米国はドルの時代に自ら幕引きをはかって
いるかのようにすら見えるのである。
 20世紀が米国(ドル)の時代であり、グローバリズムは米国基準と同一
であった。しかし、21世紀のグローバリズムはどうなるかはわからないが、
成果主義からの脱却は、20世紀のグローバリズムの終焉と軌を一にしてい
るように見える。

               地域経済研究所 客員研究員 奥山秀範


                     





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