========地域経済研究所 eメールマガジン========= VOL.85/ 2 0 1 2.4 .27 (FRI) 発行 ================================= 「敦賀 鉄道の夜明け130年」の意味を考える 去る3月24日に「地域経済研究フォーラムin敦賀」を開催し、地元から多 くの方にお越し頂いた。敦賀といえば原子力発電をめぐる厳しい状況が注 目されているが、表題の「鉄道の夜明け130年」も今後の敦賀に大きな意味 があるのではないか、と筆者は同様に注目している。 「鉄道の夜明け130年」とは、2012年が敦賀と長浜が鉄道で結ばれて130 年、敦賀−ウラジオストクの航路が開設されて110年、そして欧亜国際連絡 列車(東京と敦賀を直通する列車)の運行から100年を迎える、という3つ の記念に当たることをさしている。今年はこれに関連して「敦賀 鉄道と 港」実行委員会を中心に年間を通じてさまざまなイベントが行われる予定 である。 「鉄道の夜明け」は、敦賀だけでなく日本海側にとっても夜明けであっ た。日本海側初の鉄道開通が130年前の敦賀だったのである。鉄道の開通が 敦賀に与えたインパクトは当然大きかった。天然の良港に恵まれ交通の要 衝に位置していた敦賀港は、日本海側における鉄道輸送の唯一の中継地点 の地位を手にすることによって、周辺の港湾を圧倒するほど急速な発展を 遂げたのである。 だが、鉄道網の整備は順調に進み、日本海側でも福井、金沢、富山と北 陸地方へ伸びていくと、敦賀は唯一の地位を失う。それとともに敦賀港は 逆に活気を失う事態となった。次なる発展のためには新しい唯一の地位を 獲得しなければならない。そこで注目されたのが海外との交通網であった。 敦賀−ウラジオストクの航路は、ロシアとの交易だけでなくシベリア鉄 道を経由してヨーロッパに向かう最短のルートとして注目された。敦賀市 史によるとヨーロッパへの小包郵便物も取り扱っていたという。欧亜国際 連絡列車の運行は、これに拍車をかけた。これによって東京からヨーロッ パに向かうために電車が敦賀港まで人々を乗せ、ウラジオストクまでの航 路、そしてシベリア鉄道でヨーロッパに到着する、というルートが完成し たのである。最短という唯一の地位を獲得することによって敦賀港は第一 種重要港湾に指定され、敦賀のまち全体が「ウラジオ景気」と呼ばれる繁 栄を謳歌した。 このように「鉄道の夜明け130年」とは、130年前から始まった近代敦賀 港そして「みなとまち敦賀」が発展してきた経過について、いくつかの転 機を振り返るきっかけとなる。それだけでなく、今後の敦賀の発展を考え るためのヒントも与えてくれるのではないか。現在、交通体系は海運、鉄 道に加えて道路、航空など多様化しており、各地域での競争も激化してい る。そのなかで敦賀が発展の機会を捉えるには、やはり唯一の地位を獲得 することが重要であろう。多様化と唯一は相反するように思われるが、多 様なものを結びつけることは多様化するほど難しくなるから、多くの交通 手段をいかに結びつけるかがポイントになるだろう。その意味で敦賀は航 空こそないものの海運(特にRORO船)、鉄道(新快速、新幹線)、道 路(高速道路、幹線国道)など多様で新しい交通手段がこれからも次々に 加わろうとしている。こうした状況変化の中で発展の機会を捉えるために は、歴史からヒントを得て、どこに唯一の地位を獲得するかを考えること が重要である。 その意味で「鉄道の夜明け130年」は「新たな発展の夜明け」へとつなぐ レールでもある。 (地域経済研究所 講師 井上武史) このウィンドウを閉じる