========地域経済研究所 eメールマガジン=========

     VOL.93/ 2 0 1 2.12 .28 (FRI) 発行

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「日本企業と韓国企業の明暗」

 非常に感覚的なものなのだが、私は現在の家電製品の世界販売で日本が
韓国に圧されている状況を生んだ原因のひとつが輸入代替工業化政策にあ
ったのではないかと考えている。ベトナムを例に論考してみたい。90年代
のベトナムは米国の禁輸措置が解除され、「バスに乗り遅れるな」という
勢いで、家電、自動車、オートバイを製造販売する日本企業がベトナムへ
殺到した。ベトナム全土でテレビが数十万台、自動車が数千台、オートバ
イは数万台しか売れていない時代である。
 ベトナム政府はいずれ来るであろうASEAN域内自由貿易時代を取りあえず
横に置き、「完成品の輸入禁止」と「組立用部品の輸入関税低減」という
恩典で日本企業を迎えた。工業製品の生産をピラミッド構造に例えれば、
ピラミッドの頂点だけを集め、土台は後から作ろうとした。もちろん、セ
ットメーカーを誘致すれば部品メーカーも連れ立って立地してくれると考
えていたのだが、これは誤算だった。部品産業は市場が狭小で生産規模が
極小な市場への進出をためらい、自由貿易化した際の重複投資を警戒した
のである。
 この時代、ベトナムの日本メーカーはほぼ同じ状況だったが、例えば、
ソニー・ベトナムの最大の敵はソニー・タイであったし、ホンダ・ベトナ
ムの最大のライバルはタイ製のホンダだった。輸入代替で先を行くタイや
マレーシアは周辺産業も充実していたため生産コストがベトナムより安い。
密輸やハンドキャリーの形でベトナムに流入していたのである。
 発展途上国にとって、輸入代替工業化政策は関税を引き上げるか、製品
輸入を禁止するだけでいいので、カネがかからない手軽な工業化政策だっ
た。つまり、止め時がなく、自由貿易化の外圧によってようやく姿を消す
という政策だった。90年代といえば、韓国企業が鼻息荒くアジア市場に進
出した時代だった。日本企業が既に進出している市場を避け、ベトナムや
ミャンマーといった後発の途上国に率先して韓国企業は進出した。
 サムスンはベトナムでテレビを生産し、中東アフリカ地域へも輸出しな
がらベトナム国内でもテレビを売った。輸出品製造は部品の輸入関税がゼ
ロなので、日本企業は「韓国企業は輸出数量を誤魔化して国内向けに安い
テレビを売っている」と非難した。しかし、実態は韓国企業はコストダウ
ン努力や不要な機能の排除などによって製品価格を安く抑えていた。ハノ
イの高級ホテルがLG製のテレビを採用した時、「LGベトナムの社長が腕ま
くりして自らテレビをホテルに運び込んでいた」という目撃談が聞かれた。
「日本企業はそこまではできない」と、熱血韓国企業を羨望する一方、韓
国企業のハングリーさを下に見るような雰囲気があった。
 輸入代替工業化政策で保護された市場では、メーカーは市場の声を真摯
に受け止め、消費者に寄り添うモノづくりを怠けがちだ。先進国で売って
いるような良いモノ(本来は市場によって定義が異なるはずだが)さえ作
っていれば必ず売れると勘違いし続けた90年代。アジア市場では日本企業
が韓国企業に決定的な差をつけられた失われた10年だったと思えてならな
い。


                              (地域経済研究所 准教授 池部 亮)


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