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     VOL.99/ 2 0 1 3.6 .28 (FRI) 発行

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越前焼(福井県の伝統的工芸品産業)

 越前焼は、平安時代末期頃から宮崎村小曽原地区を中心に、朝鮮半島か
ら伝わった須恵器生産の経験を基に東海地方の瓷器(灰釉陶器)技法を導
入、焼かれはじめたといわれる。そのころから、製品には他の地方と同じ
く、壺、瓶、すり鉢等の生活器が主流をなしていたが、他には瓶水、水柱、
経筒、水瓶など宗教関係の製品も焼かれていた。また、当時から「穴窯」
と呼ばれる全長十数メートルの大規模な窯が使用され、技術面では燃焼室
と燃成室を分け燃成の効率を高めるなど他の地方に劣らない優れた特徴を
有していた。
 こうして鎌倉・室町時代には越前焼の全盛期を迎えるが、特に15世紀の
朝倉時代には、それまで北陸から東北地方の日本海側一円に流通していた
珠州焼に代わり、北は北海道から西は山口県に至るまで販路を持ち、信楽、
備前、丹波、越前、瀬戸、常滑と並んで日本六古窯の一つとして栄えた。
しかし、あくまで民衆の焼き物中心に焼き続けられた越前焼は、桃山時代
に入り茶陶など付加価値の高い陶器や磁器が生産されるようになると、こ
れらに押されて徐々に衰えていった。越前焼が茶陶を積極的に生産しなか
った理由は、信楽焼や備前焼に比べ鉄分が多く派手さに劣るなど陶土自体
が茶陶に合わなかったためであろうか。こうして江戸時代には現在の織田
(現在の福井県丹生郡越前町)の一部で越前焼が生産されていたものの、
かつての勢いはなく、次第に忘れ去られていった。
 この越前焼が再び息を吹き返したのは、戦後の混乱期の中からである。
昭和20年、福井県窯業試験場が設立され技術基盤の強化、後継者の養成等
が図られるとともに関係団体が次々と誕生し、陶器業界の飛躍的な充実が
みられるようになった。さらに1960年代半ばの全国的な陶器ブームの中で、
「越前陶芸村」構想がわきあがり、その建設が進むにつれて徐々に窯元数
や生産額も増加、また1986年には通産省(現経済産業省)が定める伝産法
(伝統的工芸品産業の振興に関する法律)の指定を受け、伝統的工芸品と
しての地位を確立するなど産地としての形態を有するに至っている。
 2010年現在、窯元数は94を数え、総じて増加傾向にある。ただ、これら
窯元の経営状況をみると、その大半は零細な個人陶房である。彼らの中に
は、1980年代の陶芸ブーム期に、陶芸家を目指して当地に根付いた人も多
いと聞く。また、福井県が調べた資料によれば、産地の出荷額は2006年
(平成8年)の5億18百万円をピークに減少傾向にある。この要因として、
越前焼は従来から手づくりの陶器を売り物としてきただけに生産量に限り
があることや、また手づくりの場合はまとまった受注の見込める規格品の
生産が困難なことから販路開拓が難しいためであろう。
 ところで、越前焼の製作技法には、古くから伝わるものとして「輪積み
成形」と「輪積み轆轤成形」の2通りがある。前者は、壺、瓶など比較的
大きな器を製作する場合の技法で、ブロックを積み上げるように太さ5pほ
どの年度紐を2段ずつ積み上げていく方法である。年度紐を捻るように押し
つけて積み上げるので、地元では「ねじたて」技法とも呼ばれている。また、
後者は、鉢、すり鉢などの製作に用いられ、前者のように年度紐を積み上
げた後、轆轤をつかって成形する方法である。現在はこの方法が主流だが、
仮に機械成形での場合には、器の種類によって、圧力式成形機(変形皿等)、
自動轆轤(湯呑み等)、い込み成形機(徳利等底の深いもの)に掛けられ、
日産1,500枚〜2,000枚程度製作可能といわれる。成形された器は、次に
「素焼き」→「着彩」→「本焼き」といった工程を辿り仕上げられる。また、
素焼きの場合、800℃、本焼きの場合で1,230℃程度の高温が必要だが、
現在は従来の「穴窯」や「登り窯」の代わりに電気炉を利用している窯元
も少なくない。
 越前焼は、800年以上の古い歴史を持つ焼き物である。それだけに我々
の生活に潤いと豊かさを与える産業として、今後も大いに発展して欲しい
ものである。しかし、地場産業の振興といった立場からみると、伝統工芸
品としての地位を重んじるあまり時代の流れに乗り切れないなど、それが
却って足かせとなり産地の発展を遅らせている事実も否めない。なぜなら、
作家活動を志向する陶房が大勢を占めるがゆえに手づくり主体の生産体制
に甘んじ消費者ニーズに十分対応しきれないといった現状が、読み取れる
からである。理想とするところは、越前焼が伝統的工芸品として地位を高
めつつ、地場産業としても大いに振興していくことである。しかし、この
両方を満たすにはかなりの努力が必要となろう。従って、産地に望まれる
ことは、このどちらかを選択し、統一されたビジョンのもとでの製作とい
うことになろう。それは、多く個人陶房が望むように越前焼をあくまで伝
統的工芸品として捉え今後も商品の高付加価値化を狙っていく道か、それ
とも越前焼を産業として捉え市場ニーズに合った商品の製作を狙っていく
道か、越前焼産地は、今まさに大きな岐路に立たされているように思える。



                (地域経済研究所 教授 南保 勝)


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