牛の出荷制限のリスク便益分析(2011.7.27)(2011.8.6改訂)

岡敏弘

 7月19日に政府は福島県全域の牛肉の出荷制限を指示した。これによるリスク削減を獲得余命で示し、これにかかる費用を推定し、余命1年延長費用(CPLYS)を算出しよう。

 放射性セシウムで汚染された稲藁を使用していた福島県の農家14戸から出荷された牛145頭分の肉の放射性セシウム濃度が、7月25日までに測られた(厚生労働省発表資料)。最高で4350Bq/kg、平均濃度は457Bq/kgである(平均を計算する際、1頭の牛について複数の計測値がある場合はその最大値を取り、「検出限界以下」とあるものは、その検出機関がこれまでに出した最小の値の3分の1と見なし、「50以下」とあるものは25と見なした。なお、「検出限界以下」および「50以下」をすべて0と見なした場合の平均も456Bq/kgになり、ほとんど違わない。)。

 この問題が起こる前に測られた福島県産の牛肉(105件)(厚生労働省「食品中の放射性物質の検査について」)の放射性セシウム濃度の平均は、40Bq/kgであった(「検出限界以下」などの扱いは上と同じ。ちなみにそれを0とすると、平均濃度は35Bq/kg。)。

 出荷制限されるのは福島県で飼われているすべての牛である。このうち、汚染稲藁を与えていない農家の牛の肉の平均的な放射性セシウム濃度は40Bq/kgと見なしてよいだろう。汚染稲藁を与えていた農家の牛の肉の平均的な放射性セシウム濃度は457Bq/kgと見なそう。福島県のすべての牛の肉の平均的な放射性セシウム濃度がどれくらいになるかは、汚染稲藁を与えていた農家の割合によって決まる。福島県の調査(「肉用牛飼養農家の緊急立入調査結果の一部訂正について(平成23年7月25日)」 )によれば、調査した肥育牛農家314戸のうち、放射性物質に汚染された稲藁を給与し肉牛を出荷した農家が16戸あった(ちなみに、2009年度畜産統計によれば、福島県の肥育牛農家は466戸あった。)。汚染稲藁を牛に与えた農家の割合が、16/314であるとすると、福島県産牛肉の平均的な放射性セシウム濃度は61Bq/kgになる。汚染稲藁を与えた農家の割合がその2倍なら県産牛肉の平均的な放射性セシウム濃度は82Bq/kgになる。

 汚染稲藁を与えた農家の割合が変わるにつれて、福島県産牛肉を1kg食べたときの平均的な被曝量と損失余命(分)は次の表のように変わる。

表1 福島県産牛肉を1kg食べたときの平均被曝量と損失余命
汚染稲藁
農家比率
放射性セシウム
濃度(Bq/kg)
被曝量(mSv/kg) 損失余命(分/kg)
幼児 大人 0-9歳 10-19歳 20-34歳 35-49歳 50歳- 全年齢
16/314 61 6.9×10^-4 9.7×10^-4 1.4 1.4 0.84 0.42 0.13 0.54
32/314 82 9.3×10^-4 1.3×10^-3 1.9 1.8 1.1 0.56 0.17 0.73
1 457 5.2×10^-3 7.3×10^-3 11 10 6.2 3.1 0.96 4.1

摂取する放射能と被曝量(預託線量)との関係については、幼児(0-9歳)で1.1×10^-5 mSv/Bq、大人で1.6×10^-5 mSv/Bqを用いた(Cs-134とCs-137がほぼ同量と仮定)。被曝量から損失余命への換算は、7月10日に書いた「放射線被曝回避の簡単なリスク便益分析」の表2(p7)のERR逓減モデルの男女平均の値を使った。

 出荷制限によって、この表のリスクを避けることになる。

 出荷制限によって、出荷する予定だった牛を廃棄しなければならなくなるとすれば、その売上が失われることになる。これが規制の費用である。ある期間出荷を先に延ばすだけですめば、その間にかかる余分の費用が、規制の費用になる。

 2009年度の畜産物流通統計から計算すると、去勢和牛の1頭あたり出荷額(全国)は、中央卸売市場で85万4603円、指定市場で83万6803円であり、頭数で加重平均すると、84万0973円である。畜産物生産費統計によると、去勢若齢肥育牛生産の1頭あたり粗収益(主産物)は、81万7943円である(所得を除く生産費は89万7440円)。これらから、流通統計での平均出荷額84万0973円を、去勢和牛の1頭あたり出荷額と見なそう。1kgあたりだと1798円になる。

 畜産物流通統計による乳用おす牛の1頭あたり出荷額は、中央卸売市場で48万4693円、指定市場で44万8079円、両者の加重平均で45万3336円である。生産費統計の粗収益(主産物)は33万6306円(生産費は36万2187円)で、こちらは流通統計の出荷額とかなり乖離しているが、とりあえず、流通統計の45万3336円を乳用おす牛1頭あたりの出荷額と見なそう。1kgあたりだと966円になる。

 このほかに、めす和牛1545円/kg、おす和牛409円/kg、乳用めす牛901円/kg、その他めす1013円/kg、その他おす973円/kgを合わせて、福島県の出荷頭数で加重平均すると、肉用牛の平均出荷額が1246円/kgになる。

 出荷制限によって出荷できず廃棄しなければならなくなれば、少なくともこの売上が失われる。これを、上の表1の損失余命の単位を年に変えたもので割れば、1年余命延長費用(CPLYS: cost per life-year saved)が得られる。汚染稲藁を与えた農家の割合に応じて、CPLYSは表2のようになる。

表2 福島県産牛肉廃棄による余命1年延長費用
汚染稲藁
農家比率
牛肉の平均放射性
セシウム濃度(Bq/kg)
CPLYS(億円/年-獲得余命)
0-9歳 10-19歳 20-34歳 35-49歳 50歳- 全年齢
16/314 61 4.6 4.8 7.8 19 51 12
32/314 82 3.4 3.6 5.8 12 38 9.0
1 457 0.62 0.64 1.0 2.1 6.8 1.6

 出荷制限が牛の廃棄をもたらすとしたら、それは、仮に福島県のすべての肉牛農家が汚染稲藁を牛に与えていたとした場合ですら、最低でも(幼児を対象とした場合でも)6200万円かけて余命を1年延長するほど高価な対策になる。

 廃棄ではなく、ある期間待って出荷することができるなら、費用は廃棄の場合よりも小さくなる。2009年度の畜産物生産費統計によれば、もと畜費を除く生産費の総生産費に対する割合は、和牛で45.8%、乳牛で72.2%、その他の牛で66.6%である。これをそれぞれの1kgあたり出荷額にかけたものを、それぞれの肥育期間(和牛20.2月、乳牛14.6月、その他19.2月)で割ったものは1ヶ月あたりの費用と見なせる。それを和牛、乳牛、その他の福島県の出荷頭数で加重平均すると、42.4円/kg/月が得られる。これを1ヶ月出荷が遅れることの費用と見なそう。遅らすと価格が下がったり、あるいはそもそも遅らすことなどできないといった事情があるかもしれない。間違っていたら後で直そう。

 これだけの費用をかけて、消費者の口に入る牛肉の放射性セシウム濃度は、汚染稲藁農家の割合が16/314だった場合には61Bq/kgだったはずのものが40Bq/kgに減ると考えよう。汚染稲藁農家割合が32/314だった場合には、82Bq/kgだったものが40Bq/kgに減り、汚染稲藁農家比率が1だった場合には、457Bq/kgだったものが40Bq/kgに減ると。そうすると、CPLYSは表3のようになる。

表3 福島県産牛肉出荷遅れによる余命1年延長費用
汚染稲藁
農家比率
CPLYS(億円/年-獲得余命)
0-9歳 10-19歳 20-34歳 35-49歳 50歳- 全年齢
16/314 0.45 0.47 0.76 1.5 5.0 1.2
32/314 0.23 0.27 0.38 0.76 2.5 0.59
1 0.023 0.024 0.039 0.078 0.25 0.060

今度はかなり安価になった。これなら、大きめの余命延長便益、3300万円/年を仮定すれば、汚染稲藁を与えた割合が32/314だとしても、0歳〜19歳で、出荷制限の便益が費用を上回る。したがって、出荷制限は、極力、育てた牛を廃棄することにならないようにしてもらいたいものである。

 それでも、規制値500Bq/kgを超えた肉は廃棄されるだろう。そのCPLYSは、幼児で6000万円/年、全年齢で1億5000万円/年くらいになるから、効率的とは言えない。牛肉の規制値は1000Bq/kgでもいいと思う。

 牛肉の規制値が野菜よりも緩くてよいと言う理由は、1kgあたりの価格が高いからである。価格を考慮してよくなったのは、放射線のリスクに閾値がないからである。安全値がないから、特定の食品を1回摂取したときに危ないかどうかは意味がなく、総被曝量または平均被曝量だけが問題になる。そうすると、費用の安い対策からとっていくのが合理的で、したがって、1kgあたりの価格の高いものの1kgあたりの規制値は緩くてよくなる。そもそも、規制値を1kgあたりでそろえることに必然性はなく、あるものは1Lあたり、別のものは100gあたりでもよい。だとしたら1円あたりでもいい。

 1円あたりでは測定が不可能で規制もできないと言われるかもしれないが、測定は1kgあたりでよく、規制値も1kgあたりで表示してよいが、その根拠として1円当たりという概念を規制者が持った方がよいということだ。

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