このページでは、日本ジェンダー学会が主催する
企画・セミナー・交流会等について紹介しています。


第2回日伊文化交流セミナー

ダーチャ・マライーニの演劇活動

−収容所から広場へ−

報告者 望月紀子(イタリア文学研究家)

主催:日本ジェンダー学会ジェンダーポリティックス研究部会
後援:イタリア文化会館
日時:2004年7月24日(土)13:00〜17:30
場所:早稲田大学戸山キャンパス
      (〒162-8644 新宿区戸山1-24-1 03-5286-3552)
      交通アクセスに関しては下記のアドレスを参照してください。
         http://www.waseda.jp/jp/campus/index.html
参加費:1000円(資料代を含む)


 ダーチャ・マライーニは、いまやイタリアを代表するフェミニストの詩人、小説家、劇作家であり、わが国でも、イータロ・カルヴィーノ、アントーニオ・タブッキ、スザンナ・タマーロなどと共に確実に読者を増やしている。
 また彼女は、本年6月8日に死去した文化人類学者で日本研究家の父フォスコ・マライーニと共に、日本と深い関係がある。2歳から9歳までの幼年期を戦時下の日本で過ごし、その体験が彼女の文学の根源にあるからだ。父フォスコは自国イタリアのファシズムを逃れて、妻と娘ダーチャと共に日本に留学した。アイヌ文化を研究しつつ北海道大学、京都大学で教鞭をとり、多くの日本人と交流していたが、ファシズム政権への忠誠署名を強要され、それを拒否して政治犯となり、一家は2年間、名古屋の強制収容所に隔離された。官憲の厳しい監視のもと、他のイタリア人政治犯と共に、ダーチャはおよそ7歳から9歳までの2年間を収容所で過ごした。東海大地震、名古屋の大空襲を体験し、幼い、しかも成長期の少女の肉体に加えられる最大の暴力である死の恐怖とすさまじい飢えを経験した。
 戦争が終わり、死の恐怖と飢えと隔離から解放された少女は、帰国したイタリアの戦後社会の中で何を見、何を体験したのか。フェミニスト・マライーニはどのようにして生まれたのか。彼女の個人的な体験はどのように彼女の文学に表現され、他者へのメッセージとなっているのか。それらを解明しつつ、改めてマライーニのフェミニズムの活動を考察するのが今回の試みである。
 1999年に来日した際のインタビューで彼女は、「フェミニズムは女性形の文化の創造である」と述べた。詩や小説でも、70-80年代のフェミニズムの代表作と指摘される多くの作品を残しているが、外界へ向けて、他者と最も直接的に交信できる演劇という手段を介して彼女が何を表現し発信しようとしたかを、わが国で上演が実現し、その後再演、再々演の機会を得た『メアリー・スチュアート』を中心に、考察したい。

報告者紹介

略歴
 東京外語大学フランス科卒業。東京都立大学大学院中退。
 1969年-1976年イタリア在住。青山学院大学非常勤講師。

主な著書
 『世界の歴史と文化 イタリア』(共著、新潮社)
 『こうすれば話せるイタリア語』(朝日新聞社)
訳書
 『イタリア抵抗運動の遺書』(共訳、冨士房)
 オリアーナ・フェラーチ『ひとりの男』(講談社)
 『渋沢龍彦文学館 ルネッサンスの箱』(共訳、筑摩書房)
 ダーチャ・マライーニ『メアリー・スチュアート』(劇書房)
              『シチーリアの雅歌』(晶文社)
              『帰郷 シチーリアへ』(同上)
              『イゾリーナ 切り裂かれた少女』(同上)
              『別れた恋人への手紙』(同上)
アンドレーア・ケルバーケル『小さな本の数奇な運命』(同上)


第2回日伊交流セミナーは2004年7月24(土)に開催され、
報告者の詳細かつ興味深い発表を受けて、出席者によって活発な質疑および討論が行われました。

セミナー終了後、報告者を囲んで(報告者:望月紀子 前列左から2人目)