昭和40年前後の福井市内まちなみ・通り風景■■■
福井城下を東西に横切る北陸道、現在の松本通りがその道筋にあたるが、戦後の都市計画、道路拡張で面影・原型はほとんど残っていない。松本通りから北に少し離れたかつての西松本商店街と、松本交差点から北陸品行松本支店前を東に向かう狭い路地にその名残をとどめるにすぎない。北陸道のはその突き当たりを北に折れて加賀口御門に向かう。
松本通り沿いは藩政時代から町屋街で、明治時代には豪商小川喜三郎の店が置かれたいたほか、戦後のスーパー時代のはしりである「ハギレヤ・松本店」もこの通り沿いに開店した。志比口は江戸期の福井七口の一つで松岡、永平寺、勝山に向かう起点であった。幕末には芝原用水の水で水車を動かし、この動力を使って鉄砲製造所が設置された場所であった。
大正3年2月、北陸で最初の電気鉄道となる京都電燈(越前電気鉄道)、新福井〜市荒川間が開業し、福井口駅ができると徐々に小売商店が通り沿いに形成された。鷹匠町は藩政時代鷹匠が居住していた地区である。戦前は夜店などで賑わったところである。総和42年の日之出立体交差橋の架橋、そしてJR高架化 によるその取り壊しと、二転三転する整備事業で周辺の雰囲気は大きく変わった。
西別院前通りは、福井別院(西御坊)に通じており、近くには神明神社、学校、住宅の後背地もあり立地的には悪くない地域であった。
○松本通り
○西松本(旧北陸道)通り
○西別院通り
○志比口通り1
○志比口通り2
○鷹匠町
■■■懐かしい福井の姿が甦ります