昭和40年前後の福井市内まちなみ・通り風景■■■
足羽川より南の地区は、川を挟んで福井市中心部と隣接するもの、「川向かい」として明治以降も発達がやや遅れた地域であった。江戸時代は足羽川の南の毛矢地区は下級武士「毛矢侍」の屋敷地であった。
しかし、幕末から明治維新以後の殖産興業を推進した人材はこの地区出身のものも少なくなく、由利公正、酒井功も毛矢出身であった。本県織物の推進役を担った「織工場」も毛矢に設置された。
発展の契機になったのは昭和8年の「陸軍大演習」であろう。このとき、演習車両を通すため本県の道路整備が進むが、毛矢においても大通り、幸橋の架け替えなど基盤整備が進められた。
戦後は、戦前からの織物関係工場群と旧北陸道沿いの商店街、大通りの発展で支えられてきた地区である。
、○毛矢大通り
○九十九橋南
○立矢通り
○藤島神社前通り
○みのり(中野本山前)
○日赤前(旧北陸道
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○花堂(旧北陸道)
■■■懐かしい福井の姿が甦ります