はじめに
1980年代以降急激な社会変化に対応しきれなくなった日本の社会福祉制度は大きな改革の時期を迎えている。現在、政府の方針において地域の行政は地域の住民が自分たちで決定し(自己決定)、その責任も自分たちが負う(自己責任)という行政システムを構築し、全国的な統一性や公平性を重視する「画一と集積」の行政システムから住民や地域の視点に立った「多様と分権」の行政システムに変革を目指している。2000年4月に導入された介護保険制度において、多様な福祉ニーズに対応するために供給体制の多元化が進んでいる中、基礎自治体である市町村は、保険者としての運営だけでなく、高齢者在宅福祉サービスの計画と実施の中心的役割を担っている。このことは、在宅福祉サービスの計画・実施において総合調整していく組織として、住民にもっとも近い行政府である市町村が最適であろうという考えが背景となっている。
しかし、オーストラリアの地方自治体[1]の高齢者在宅福祉サービスにおける役割は、日本の地方自治体中心論とは異なり、先進連邦国の中でもユニークな特徴を持っている。このオーストラリアにおける地方自治体の特徴的な福祉政策は、在宅福祉サービスにおける基礎自治体の役割に関する世界的な常識にいくつかの疑問を投げかけているといえよう。オーストラリアの高齢者在宅福祉サービスにおける地方自治体の役割についての先行研究はあまり実施されていない。マーガレット・バウマン[2]やマイケル・ジョーンズ[3]は、在宅福祉サービスにおける地方自治体の役割についての研究において、ヴィクトリア州での成功例に注目しながら、一部の専門的なサービスを除けば、地方自治体は地域資源を最大限に活かしながら様々な福祉サービスを供給・調整する可能性を持っていると論じている。実際に、ヴィクトリア州では、地方自治体が最大の福祉サービス供給機関になっているが、その他の州では、必ずしも地方自治体が中心機関ではない[4]。また、シドニー大学の都市計画研究所がNSW(ニュー・サウス・ウェールズ)州の高齢者福祉サービスにおける地方自治体の役割に関する調査を実施し、調査結果は地方自治体も非営利団体等と同じように高齢者福祉サービス供給者として重要であることを示した。しかし、多くの地方自治体は単なる一供給者として重要であり、在宅福祉サービスの全体のコーディネートや計画において財政力や決定力を持っているわけではなかった。
本論の目的は、オーストラリアの地方自治体の歴史的・制度的背景を考慮に入れながら、オーストラリアの高齢者在宅福祉サービスにおける地方自治体の役割と特徴を検討することである。特に、地方分権における地域民主主義の重要性について、筆者がNSW州の2都市で実施した2つの在宅福祉サービスセンターにおける比較調査を基にして論じたい。オーストラリアは、他の先進諸国平均より低い高齢化率(1996年12%)や連邦制という政治システムなどの日本とは異なった高齢者問題・歴史的背景を持っていることは事実であるが、急増する後期高齢者への対応、在宅福祉サービスの推進などの課題は同様であり、特に今後日本で在宅福祉サービスの推進者である地方自治体の役割について参考にすべき点は多い。本研究は、日本における福祉政策の地方分権化の高齢者在宅福祉サービスに対する影響と効果を理解するための新たな視点を与え、今後の問題点を探る上で意義があると考える。
1 オーストラリアの地方自治体の歴史的背景と制度的特徴
1842年、NSW植民地法の条例によってオーストラリアで初めての地方自治体が誕生した。主に道路整備、公共施設管理、学校建設等を行う限定的責任政府であった。しかし、シドニー市などの地方自治体は、広大な行政区域、少ない人口、議員の経験不足、目的の欠如等の理由から短命に終わり、存続し続けたのはビクトリア植民地の地方自治体だけであった。1900年には6植民地中4植民地で強制的な地方自治体システムを作り、NSW植民地でも植民地の8分の7が市行政区域でカバーされた。その後、シドニー、メルボルンなどで都市統合の動きはあったものの実現せず、クイーンズランド州においてのみ、1924年に50のカウンシルとその他団体がオーストラリア最大の市行政府ブリスベンとして統合した[5]。
NSW州シドニーでは、第2次大戦後、障害者数の増加に伴い、社会福祉サービス提供における地方自治体の役割が広がった。1969年に地方自治体は州在宅ケア補助金法によってシニアシチズンセンター建設や福祉専門職員採用のための補助金を受け、1972年にはウィットラム労働党連邦政府が、道路建設維持の特別補助金を地方自治体に支給開始し、1975年にはその総額が1億900万ドルに達した。さらにオーストラリアアシスタント計画によって、地方自治体のコミュニティサービス計画、コーディネート、供給における役割が高まり、1986年には、5億8600万ドルに達し、地方自治体予算の約10%を超えた[6]。
コンセッタ・ベン氏[7]は、オーストラリアにおける社会サービス政策は、中央中心主義から地域中心主義に移行しつつあると論じている。その理由の1つは福祉予算削減によって、民営化が進む一方、連邦政府から州へ、州から地方自治体への福祉サービス供給機能の移行してきたことである。もう1つの理由は、政府が社会サービスにおける供給者と消費者をより近づけ、人間中心のサービスをしようとしたからである。しかしながら、地域中心主義は必ずしもオーストラリアの地方自治体におけるサービス供給やコーディネーションの増加にはつながってはいない。実際は主にNPO組織やボランティア団体の政策として進められ、地方自治体では一部に限られているのが現状である。
2)法的能力
オーストラリアの地方自治体は、州法により成立し、独立自治権を持たない行政機関である。そのため、法律上は州法で特別に決められた機能しか実行することはできない。つまり、地方自治体は州政府に機能能力の変更を求めることしかできないのである。ドイツでは、地方自治体の権力は政府下にあるが、一般的な法律を制定する能力は保証されている。アメリカやカナダでは地方自治体はさらに強い自治権を持ち、州政府と争うことさえある。オーストラリア連邦政府は、連邦プログラムの発展と実施のための効果的な行政能力を備えた地方自治体の価値を認めはじめているがパートナーシップを発展させるには至っていない[8]。一方、州は地方都市政府に州法によってその場限りの特別なサービスをさせて、権力の分断化を図ろうとしている。しかし、一方でほとんどの州で地方自治体は州法をうまく広く解釈することで様々な種類のコミュニティサービスを発展させてきた。地方自治体は選挙によってコミュニティからの代表が選ばれるシステムをとっているので、コミュニティ活動や決定においてコミュニティメンバーの積極的な参加を可能にしている[9]。また、少なくとも連邦政府や州政府よりもその地域のニーズや状態を把握し、その特徴を理解する力は持っており、さらに公開ミーティング、住民投票、地域参加システムなどの直接民主主義を通してコミュニティケアに影響を与えることができる[10]。
3)財政的能力
財政的能力については、オーストラリアの地方自治体は、主要先進連邦国家(オーストラリア、オーストリア、カナダ、ドイツ、スイス、アメリカ)の中でもっとも低い[11]。つまり、オーストラリアは財政的な中央集権度がもっとも高いということである。一方、イタリアとオランダの地方自治体における財政能力の割合は、オーストラリアと同様に低いが、中央政府より一般補助金を得ることでオーストラリアと比較してより強い財政力を持っている[12]。
地方自治体の役割は州ごとによっても異なるが、オーストラリアの地方自治体は、概してその地域の基本的インフラ整備(道路、ごみ、水道、図書館事業など)に予算を多く充てている(表1)。地方自治体の補助金の種類を見ると、連邦政府は一般補助金より特別目的補助金を利用する傾向にあり、例えば、シドニーメトロポリタン地域では補助金の55%が特別目的補助金になっている(政府補助金は地方自治体予算の12、8%を占める)。特別目的補助金は、地方自治体にとって様々な統合したコミュニティサービスを計画、供給するのに適せず、一般補助金がより効果的である。加えて、複数の補助方法は手続きのオーバーラップや不必要な複雑さをもたらす可能性がある[13]。 基本財源の政府への依存がサービス供給団体と連邦/州政府間の緊張を引き起こし、その緊張のため団体内の職員は常に財政カット等の政府からの圧力を恐れ、事業決定力にも大きく影響している。そのような財政的圧力からなる事業固定化は、適切なサービスコーディネーションを困難にし、自主性を疎外する危険性を持つ[14]。
4)政策実行能力
オーストラリアの連邦政府が地方自治体をあまり利用しない理由は、NGOへの理論・哲学的信頼だけではなく、サービス基準や計画を中央でコントロールし続けたいという欲求でもある[15]。一方、地方自治体は、非営利団体と異なる点で広い責任性と信頼性を持ち、その地域の利益をうまく作り出す能力を備えている。それゆえ、地方自治体はコミュニティケア政策においてより包括的なプランニングやコーディネーションの責任を持つ可能性がある。連邦/州政府の地方分権に対する否定的態度にもかかわらず、NSW州の地方自治体のホームアンドコミュニティケア(HACC)プログラムへの関与に対する調査によれば、地方自治体は高齢者サービスにおいて計画、コーディネート、実施機関として重要な役割を担っている。例えば、196のプログラムに財政支出し、そのうち59プログラムに関しては、サービスコーディネート/情報提供まで行っている[16]。また、47%の市行政機関が地方自治体はより積極的なHACCプログラムへの関与をすべきだと考えており、そのうち93%の自治体がプログラムの計画や政策決定へ直接力を持つべきだと回答している。一方、1994年の連邦下院レポートは、HACCプログラムの地域計画やサービス供給における地方自治体の役割をあまり重要視していないが、地方自治体は連邦・州政府のパートナーとしてHACCのサービス計画や供給において積極的に参加する必要があることを述べている[17]。
2 調査方法と2つの地方自治体の概要
このケーススタディはインフォーマルインタビューと参与観察を含めた質的データを重視し、1998年に2月から1998年12月までNSW州の2都市の在宅福祉サービスセンターであるAセンター(ノースシドニー市)とBセンター(ライクハート市)の活動にボランティアとして週2または3日参加し、フィールドワークを通して現場の情報を収集、分析を行った。ノースシドニー市とライクハート市は近隣市であるが、人口統計的特徴において対照的であり、今回の比較調査地に選定した。
ノースシドニー市は、シドニーメトロポリタンエリアで大きなビジネスセンターを形成している住宅商業都市である。高齢化率は、オーストラリア、NSW州平均と比較して高く、特に一人暮し率が極めて高くなっている(表2)。一方、施設入居率は低く、在宅サービスをより多く利用している可能性が高い。また、14、2%が英語以外の言語を母国語として話し、その内25%は中国語を話す(表2)。ライクハート市はノースシドニー市の南東側に位置し、労働者、移民や若者を中心とした住宅都市である。いくつかの大学が近くにあり、住居も一戸建よりアパートやテラスハウスが中心で、転居率も高い。高齢化率でみても、ノースシドニー市とは対照的にシドニーメトロポリタンエリア内でも2番目に低く、65歳以上の一人暮し率も低い。反対に、施設入居率は高い(表2,3)。表4は両市の65歳以上の高齢者の週収入を比較したものである。各市の低収入(週120ドル以下)者の数の傾向は類似している。ライクハート市では、週120ドル〜199ドルに集中している一方、ノースシドニー市では、週200ドル〜299ドルの収入が一番多い。さらに週300ドル以上の高所得者はノースシドニー市の方が多い傾向にある。
Aセンターは、ノースシドニー市で高齢者在宅福祉サービス供給およびコーディネートの中心となっている地域非営利団体であり、ミールズオンウィールズ[18]、ショッピングサービス、ランチサービスなどの多種多様な在宅サービスをA市の高齢者および障害者へ提供している。この組織は年1回の総会で地域の人々と市会議員から選ばれた理事によって運営され、財政面でNSW州コミュニティーサービス省のHACC(ホームアンドコミュニティケア)プログラムとノースシドニー市の補助を受けている。Aセンターには、5人の有給職員(エクゼクティブオフィサー、2人のコミュニティワーカー、配食サービスコーディネーター、ボランティアコーディネーター)と3人の非常勤有給職員(買い物サービスコーディネーター、リネンサービスコーディネーター、移動サービスコーディネーター)がいる。その他、キッチンスタッフ、会計などの専門スタッフもいる。
Bセンターは、ミールズオンウィールズ、ホームメンテナンス、ランチサービスなどの在宅サービスをライクハート市の高齢者および障害者へ提供している。このセンターは、ライクハート市行政によって直接設置・運営され、NSW州コミュニティサービス省のHACCプログラムから財政補助を受けている。このセンターには2人の常勤コミュニティワーカーと3人の非常勤ミールズオンウィールズスタッフ、4人のホームメンテナンススタッフ、1人のドライバーがいる。2人のコミュニティワーカーは、ライクハート市の行政職員である。
3 調査結果の概要
1)政策決定プロセスへの住民参加
サービス供給・コーディネート機関の組織体制は、政策決定プロセスへの地域住民の参加機会の提供方法に大きな影響を与えた。Aセンターでは、事業内容・方針が地域住民の誰もが参加できる総会でもって決定され、市行政は財政的援助を実施するが団体の事業内容・方針に直接影響を与えることはない。一方、ライクハート行政に運営されているBセンターは、ライクハート市役所のセンター管理職員およびセンターに出向された行政職員によって住民非公開の中で政策も決定される。地域住民は、市議会や市公開ミーティングによって意見を発言することも可能だが、実際に直接この団体の政策決定プロセスに参加することはできない。ボランティアも活動中にスタッフに提案したとしても、非公式な場での意見は政策として取り上げられる可能性は少ない。一部の行政職員によって政策決定されることに関しては、特に非常勤スタッフが不満を持ち、そのことがスタッフ・ボランティア間の信頼関係にも影響している。
次に、クライアントの政策決定プロセスへの参加や提言の方法においても違いがあった。Aセンターでは、理事会の主要なメンバーが退職者で構成されているので高齢者からの声も実際の政策に反映されやすい。さらに、Aセンターでは、地域全体のクライアントの要望の変化を把握し、その将来への変化を予測するために配食ボランティアのインフォーマルな情報収集機能を最大限に活用している。このコミュニケーションシステムは、ボランティアがクライアントの家に入り、会話する時間が十分にとれているからこそ成功している。そして、このシステムは、クライアントの意見収集だけでなく、毎日の安否確認といったリファーラル機能も発揮している。一方、Bセンターでは、いくつかのアンケート調査を除いて、クライアントと団体の間に直接のコミュニケーションが少ない。Bセンターのボランティアもクライアントが家にいない場合などセンタースタッフに報告する役割を担っているが、ボランティア1チームあたりの配達件数が多く、クライアントの状況やニーズ変化をチェックするだけの時間的余裕はない[19]。Bセンターは実際に外部サービスへのコーディネートを積極的に実施しておらず、スタッフもボランティアにクライアントの状況把握などは特に期待していない。
両団体とも在宅サービス供給に地域ボランティアが参加していた。両センターのスタッフともサービス供給に地域ボランティアを利用する理由の一つにボランティア活動が無償行為だという財政的な利点をあげた[20]。しかしながら、両団体のボランティアの政策決定プロセスへの参加方法とそれに対する職員の考え方には大きな違いもあった。両団体ともボランティア同士の交流促進のためのランチパーティやクリスマスパーティを年数回実施しており、活動中以外のボランティアとスタッフの意見交換も行われるが、これらは交流という娯楽活動が主目的の集まりである。Aセンターは、娯楽を目的とした交流事業や年次総会以外にボランティアによる政策提言グループ会議を年2,3回開催し、年間活動計画、学習事業について話し合いを行っている。この会議は、ボランティアが積極的にAセンター事業の政策決定に参加する機会を与え、間接的ではあるがボランティアから地域住民およびクライアントのニーズや意見を得る重要な機能を持っている。 Bセンターのボランティアは、サービス供給のマンパワーとして扱われ、政策実施・決定における事務局(ライクハート市行政)のパートナーにはなっていない。ライクハート市のボランティアの多くは失業者であり、謝礼のために働く場合も多い。しかし、ライクハート市行政は、雇用トレーニングおよび社会教育プログラムとしての配食サービスの役割を認識しておらず、非常勤スタッフも、できればボランティアをサービス供給に利用したくないと考えている。
2)高齢者在宅福祉サービス供給とコーディネートにおける地方自治体の役割
ノースシドニー市とライクハート市の高齢者在宅福祉サービスのコーディネートにおける法的、財政的能力はNSW州の他市と同等である。ホームヘルプや訪問看護などにおいてサービス供給とコーディネートの中心機関にはなっていないが、両市行政およびA、Bセンターが在宅福祉サービス、特に生活援助サービスの提供・コーディネートにおいて重要な役割を担っていた。Aセンターでは、高齢者在宅福祉サービスの供給とコーディネートにおいて非営利地域団体として住民参加を重視し、コミュニティと市行政の両方と適切なコミュニケーション関係を作り上げていた。この関係は、Aセンターがサービス供給者・コーディネーターとして役割を理解し、ノースシドニー市行政はこの市行政区域の社会計画者および州政府への提言者の役割を認識し、その役割に集中していることでうまく保たれていた。一方、Bセンターは、コミュニティに物理的に近い組織としての市行政の性質を利用できず、サービス供給・コーディネートのプロセスに地域住民とのパートナーシップを築いていない。またスタッフおよびボランティア間で高齢者在宅福祉サービスにおけるライクハート市の役割がとても曖昧であり、政策の方向性についてのコンセンサスが統一されていなかった。
また、在宅福祉サービスの提供・コーディネートにおいて地方自治体の弱い財政力をボランティアで補完することに限界があることを両市行政スタッフは認識していた。両団体の資金の大部分はNSW州・連邦政府のHACCプログラムに依存しているため、サービス供給やコーディネートにおいて団体自身が柔軟性とイニシアチブをもって企画実行することは難しい。調査結果はこのような財源不足による精神的圧力がスタッフ・ボランティアの満足度を低下させ、サービスの質も低下する可能性を示した。
4 考察
法的、財政的な地方分権のレベルの度合いは、必ずしも高齢者在宅福祉サービスのコーディネーションシステムの計画・実施段階における地方分権度を表しているものではない。地方行政が法的、財政的能力を持ったとしても、地域民主主義の発達がなければ、真の地方分権が進んだとはいえない。そして、高齢者在宅福祉サービスにおける地域民主主義の発達の鍵となるのが政策決定プロセスへの住民参加であると考えられる。本来、社会福祉政策における地方分権は、中央政府への権力集中を防ぎ、官僚主義的政策決定プロセスから住民主体の政策決定プロセスを持った行政システムに移行するものである。しかしながら、地域民主主義の発達なしに、法的、財政的地方分権のみが実施されれば、福祉サービス供給・コーディネートの現場において行政職員・非常勤現場職員・地域住民(ボランティアも含む)の3重構造のヒエラルキーでその政策実行における権力が行政職員に集中する。つまり、地方分権本来の目的とは反対に、地方自治体においてミニ中央集権・官僚化が進んでしまうのである[21]。一方で、地方議会制という間接民主主義、住民投票という直接民主主義と併行しての福祉サービスにおける政策決定プロセスへの住民の直接参加は、地域民主主義の発達を促進し、権力を地域住民に分散させ、行政と地域住民の相違や溝を解消し、真の地方分権が実現するための条件を地方自治体および福祉サービス供給・コーディネート機関へ与えるのである[22]。
2)在宅福祉サービスにおける地方自治体の役割と責任
オーストラリアの生活援助を中心とした高齢者在宅福祉サービスの供給とコーディネートは、市行政が高い法的、財政的能力を持っていないにもかかわらず、市行政区域を中心として実施されていた。しかし、この前提において重要なのは、サービス供給・コーディネートの主体が市行政であるかどうかではなく、市行政がその役割と責任を明確にし、各市行政区域での積極的な住民参加のプロセスを作り、地域民主主義の発展を進めるかどうかである。なぜなら地域民主主義の発展による様々な効果は、安定したサービス供給の運営を助け、インフォーマルネットワークが、コーディネーションシステムを向上させるからである。このことは、サービス供給・コーディネートの現場スタッフだけでなく、各行政職員がすべての社会サービスにおいてもその原則があてはまることを認識すべきことだろう。そのことによって、市行政はコミュニティにもっとも近い行政府として、地域住民やボランティアなどの人的社会資源を活用するイニシアチブをとることができるのである。
3)高齢者在宅福祉サービスの平等性と公平性
NSW州における各市行政区域は、民族性や経済的状況において複雑な人口統計的背景を持っており、両市の高齢者在宅福祉サービスコーディネートの内容と方法に強く影響している。ノースシドニー市は経済中心地区であり、比較的所得の高い人々が集中しており、他の市と比較して、ボランティアや寄付を集めることは容易である。対照的に、ライクハート市は低中所得で労働者階級の人々が集中する地域であり、この経済的要因はボランティアや福祉施設がこの地域で特に不足している大きな原因である。
将来的な民族的・経済的状況を予測すれば、連邦/州政府が作った一つの標準システムを各市行政区域のコーディネーションシステムとして採用することは難しい。人口統計的特徴が尊重され、各市行政区域のコーディネーションシステムの特殊性やオリジナリティが重要視されるべきである。その場合、地域民主主義は、サービス供給・コーディネートプロセスへの住民参加を促進し、地域のニーズを発掘し、新しいコミュニティネットワークを創造する重要な考え方となるだろう。その意味において、市行政府は、地域民主主義を発展・維持させ、地域の多様性を利用できる重要な行政機関である。
また、高齢者在宅福祉サービスの平等性と公平性を保つためには、連邦/州政府の責任がより明確にされるべきである。特に、各市のサービスの質をチェックし、指導する上位政府は、注意深く人口統計的データの変化を分析し、コーディネートの難しさを緩和するために経済基盤の弱い地域に人件費の特別補助などの政策を実行するべきである。また、市行政も責任政府の一つとして、その地域の社会的変化をチェックし、積極的に州/連邦政府へサービスコーディネートに対する援助を提言すべきである。地方自治体(市行政)は単なるサービス供給団体になるべきではなく、積極的なプランナー(計画者)、アドボケイター(提言者)となって、コミュニティの意見を吸い上げ、地域民主主義を基盤とした真の地方分権を進めながら、政策実行していく必要があるだろう。
4 おわりに
本研究は、高齢者在宅福祉サービスにおける地方分権と地域民主主義の重要性と地方自治体の役割について、「地方分権」と「地域民主主義」の関係に注目しながら、NSW州2都市で2つの在宅福祉サービスセンターでのケーススタディを通して検討を試みた。
介護保険導入によって、基礎自治体である市町村は、保険者としての財政力を持つようになったが、実際のサービス供給・コーディネートの事業計画に関しては、それぞれの市町村の裁量に任されている。また、新たな民間営利企業の在宅福祉サービス供給事業への参入によってその責任体制は曖昧になっていく可能性がある。そこで、改めて新しい地方自治体の高齢者在宅福祉サービスにおける役割が問われてくる。その一つの例としてオーストラリアの地方自治体のユニークな役割と実践が新しい発想と視点を与えてくれるのではないだろうか。
オーストラリアの高齢者在宅福祉サービスが、基本的に州または連邦政府によって計画・実施されているにもかかわらず、ケーススタディで示したように、市行政区域単位でサービス供給・コーディネートの質の差が出ている。その差は、財政的、法的な相違から発生したものではなく、地方自治体の地域民主主義に対する考え方とその活用方法に依存しているのである。一方で、上位政府は、人口統計的背景の相違のサービスコーディネートへの影響を考慮し、各市行政区域間の質の格差をチェックし、調整するの責任があることも提示している。これらのことは、日本の地方自治体の高齢者在宅福祉サービス計画における住民参加とサービス供給・コーディネートにおける質の向上の関係においても同様の検討が必要であろう。
注
[1] 本論で使う地方自治体は、オーストラリアのlocal governmentを表し、日本でいう市町村府にあたる。なお、オーストラリアは中央政府、州政府、地方自治体の3段階の政府組織となっている。
[2] Bowman,
Margaret ,Jone Halligan 「Local government in the federal system」『Canberra Bulletin of Public Administration』no.55,(
June 1988), pp. 112-113.
[3]Jones,
Michael『Transforming Australian
Local Government 』 Allen&Unwin,Sydney
,1993.
[4]1985年にホームアンドコミュニティケア法(HACC)が施行後、連邦政府・各州政府は高齢者および障害者ができるだけ自宅で生活し、高齢者と介護者の生活の質を向上させるためにコミュニティケアの推進をすすめ、予算も飛躍的に増大させた。実際のサービスコーディネート機関・供給機関は州によって異なるが、多くの地域においては、コーディネートは連邦・州政府が実施し、サービス供給は、表5のように州政府および非営利団体が中心となっている。
Shannon and Foster「Interstate
comparison of state outlays on services for older people」,
in Chris Foster and Hal L. Kindig (ed)『Who Pays? Financing Services for Older People』,
ANUTECH, Canberra, 1987 Table 5.1.
[5]
Power, J, R, Wettenhall and J, Halligan「Overview
of local government in Australia」『Local
Government Systems of Australia』,1981, pp.8〜16.
[6]
Office of Local Government: Department of Local government and administrative
services『Community
Development, Human Services and Local Government, Report of a Task Force of the
Joint Officers' Committee』, Local Government Ministers' Conference,1986,
pp.23~61.
[7]
Benn, Concenta「Localism – the lastest fad in social
service devlivery?」『Social policy
in the 1980s』College of Advanced Education in
association with the Australian Social Policy and Administration Association,
Belconnen, A.C.T.:Canberra, 1983. p. 229.
[8]
Bowman, Margaret ,Jone Halligan「Local government in the federal system」『Canberra Bulletin of Public Administration』no.55
(June 1988) p. 115.
[9]
前掲(6),
pp.11~19.
[10]
Jones, Michael『Transforming
Australian Local Government』 Allen&Unwin,Sydney, 1993, p.40.
[11]各国の地方自治体の税収(%) 1988.
連邦制 |
連邦政府 |
州政府 |
地方政府 |
オーストラリア |
80 |
16.7 |
3.3 |
オーストリア |
78.7 |
10.6 |
10.8 |
カナダ |
55.3 |
35.5 |
9.1 |
ドイツ |
69.4 |
21.9 |
8.7 |
スイス |
62.1 |
22 |
15.8 |
アメリカ合衆国 |
69.1 |
18.8 |
12.2 |
連邦制以外 |
中央政府 |
|
地方政府 |
デンマーク |
69.9 |
|
30 |
イタリア |
98.3 |
|
1.8 |
日本 |
74.1 |
|
25.9 |
オランダ |
97.9 |
|
2.2 |
スウェーデン |
72.4 |
|
27.6 |
イギリス |
89.4 |
|
10.5 |
Jones, Michael (1993),Transforming Australian Local Government, 9p
[12]
前掲(10),
p.9.
[13]
前掲(6),
pp.76~77.
[14]
Craswell and Patrick 「Accountability and Policy Delivery in
Home and Community Care」『Power and
Policies in the city: Brisbane in transition』
Janice, Caulfield and John, Wanna (ed), Macmillan Education Australia, South
Melbourne, 1995, p.221.
[15]前掲(6),
pp.11-19.
[16]
Local Government and Shires Associations of NSW 『Consultation on Aged Care Services: In response to
COAG Reforms』unpublished, 1996, pp.1~2.
[17]
Local Government and Shires Associations of NSW『Local government’s role in service for older people』unpublished,
1995, pp.3~4.
[18] ミールズオンウィールズとは、買い物や調理が困難な高齢者・障害者などに温かい食事を届ける配食サービスであり、主にボランティアにより運営されている。このサービス は第2次大戦中にイギリスで始まり、やがてアメリカ、オーストラリアにも活動が広がった。オーストラリアのミールズオンミールズは1952年にある個人の善意活動から始まり、現在ではHACCプログラムを推進する上で中心的な在宅福祉サービスとなっている。
[19] Aセンターでは、ボランティア1チーム(2人)につき1日15件以下の高齢者宅に食事を配達する。Bセンターでは、ボランティア1チーム(2人)につき1日約25件の配達を行う。Bセンターは、1998年にチーム数を減らし、1チームの配達数がさらに増加した。
[20] ライクハート市では、地域状況によってボランティアが少ないため、Bセンターの配食サービスボランティアには、運転手に1日18ドル(日本円約1620円)、ヘルパーに一日9ドル(日本円約810円)が支払われている。Aセンターのボランティアには、運転手に実費(ガソリン代)が支払われる。また、希望者には昼食のサンドイッチが与えられる。
21富野暉一郎『社会システム論としての地方分権〜ポスト・シャウプ分権時代における直接民主主義と公・共・私型社会』,1998, http://www.eco.shimane-u.ac.jp/~tomino/g-gakkai.txt
22 Smith,
B.C 『Decentralization:
The Territorial Dimension of the State』George
Allen and Unwin, London.,1985.
及びHokenstad,
Jr, Meal C and Ritvo, Roger 『A Linking Health Care and Social
Services: International perspectives』SAGE, Beverly Hills,
1982.
図表
表1: NSW州における主要地方自治体の目的別支出額
1992 ($000)
|
行政事務 |
教育、医療、コミュニティサービス |
住宅、アメニティ、ゴミ清掃 |
図書館 |
レクリエーション、文化 |
道路整備 |
その他 |
総支出 |
シドニー市 |
36711 |
3157 |
25368 |
4050 |
14481 |
25268 |
24944 |
135254 |
ランドウィック市 |
7102 |
2272 |
8848 |
2807 |
4663 |
8341 |
5244 |
40558 |
ロックデイル市 |
3103 |
1482 |
6390 |
1426 |
4347 |
6514 |
2864 |
26703 |
モスマン市 |
2721 |
432 |
2356 |
1010 |
1298 |
3043 |
1310 |
12709 |
ノースシドニー市 |
5535 |
2127 |
3763 |
1690 |
5073 |
8400 |
4207 |
31796 |
マンリー市 |
3547 |
1660 |
4478 |
970 |
3088 |
3374 |
2393 |
20300 |
シドニー都市圏 |
302019 |
110602 |
315514 |
71786 |
198925 |
43654 |
208427 |
1679026 |
ABS local government finance data 1992
表2 ノースシドニー市、ライクハート市人口統計
|
年度 |
オーストラリア |
ノースシドニー市 |
ライクハート市 |
人口(数) |
1996 |
17892423 |
53790 |
58304 |
高齢者人口 (65歳以上)(数) |
1996 |
2150895 |
6513 |
6195 |
高齢化率 (%) |
1996 |
12 |
12.1 |
10.6 |
独居高齢者 (%) |
1991 |
24.1 |
38.5 |
27.3 |
英語が母国語でない人口 (%)(5歳以上) |
1996 |
13.9 |
14.2 |
16.9 |
ABS 1997 NSW year statistics, ABS 1991 Census
of Population and House
表3 高齢者施設のベット数
|
ナーシングホーム |
ホステル |
ベット数の割合(%)(高齢者人口に対して) |
年度 |
1997 |
1997 |
1997 |
ノースシドニー市(ベット数) |
163 |
152 |
6 |
ライクハート市(ベット数) |
339 |
388 |
12.7 |
1997 Statistical Local Data, Commonwealth
Department of Health and Family Services
表4 ノースシドニー市、ライクハート市における65才以上の高齢者の週収入
ABS 1996 Census Selected Characteristics
表5:主要在宅福祉サービスのサービス供給団体 |
|
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サービス種類 |
NSW州 |
ビクトリア州 |
クイーンズランド州 |
南オーストラリア州 |
西オーストラリア州 |
タスマニア州 |
ホームヘルプ |
非営利団体 |
地方自治体 |
非営利団体 |
非営利団体 |
非営利団体 |
非営利団体 |
|
州政府 |
|
州政府 |
州政府 |
|
|
訪問看護 |
非営利団体 |
非営利団体 |
非営利団体 |
非営利団体 |
非営利団体 |
非営利団体 |
|
州政府 |
|
州政府 |
|
|
|
配食サービス |
非営利団体 |
地方自治体 |
非営利団体 |
非営利団体 |
非営利団体 |
非営利団体 |
|
地方自治体 |
|
|
|
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