ボランティアと市民権〜オーストラリアでの在宅福祉ボランティア活動を通して〜
はじめに
1997年8月、私は大学卒業後2年間勤務した在日外国人を支援する第3セクター機関を退職し、大学院で社会福祉を研究するためにオーストラリアへ渡りました。最初の数ヶ月間は、研究テーマについての雑誌・論文を読み、ゼミに参加し、気がつけば大学と寮の往復の毎日でした。「社会福祉」という実社会に直結した研究をしているにもかかわらず、実際の社会政策の動きは自分とは遠い存在であり、外国人留学生であることは、社会への無力感を強めていきました。1998年1月、研究フィールドワークの一環としてシドニー市北部にある地域福祉センターでボランティア活動をすることになりました。そこで初めて、自分がコミュニティの一員となり、社会の向上・発展に貢献していることを実感し、私の市民としての力は政治的、社会的に大きく飛躍したと確信しています。
本稿では、私のオーストラリアでの一市民としての力の変化を在宅福祉サービスボランティア活動の伝記的スケッチによって明らかにし、参加的市民権の確立と社会へのエンパワーメントとしてのボランティア活動に注目したいと思います(注1)。
外国人留学生としての社会に対する無力感
オーストラリアの多文化共生主義は、現実社会の人種や民族の多様性を反映し、法律や民主主義の枠組みの中で、それぞれの個人や社会の関心において、積極的に多様性を利用していこうとする理念です(Rubinstein 1995)。しかし、外国人留学生の私はその枠組みの中で実際の社会に影響力を持つことはおろか、市民参加の糸口さえつかむことができませんでした。当然のことですが、外国人の私は、政治的権利および労働、教育、医療等の経済的、社会的権利などの市民権は制限されていました。例えば、就業については週20時間以内という制限があり、授業料および医療保障についてもオーストラリア人学生よりも高い金額を支払っていました。私はこのような生活上の不利益や多くの制限のある社会生活の中では、たびたび社会への無力感に陥らざるをえませんでした(Cowen 1996)。
法的権利の制限に加えて、社会参加においての大きな壁は、言葉の違いでした。社会情報のほとんどを発信しているマスメディアからの情報は、私の英語力では十分キャッチすることができず、自分の住んでいるコミュニティ内では、その情報源すら見つけることができなかったのです。さらには、文化や思想の違いは、コミュニケーションや社会参加の方法の違いなどの新たな問題も生み出していました。
在宅福祉サービスボランティア活動に参加して
大学院生活も2年目、研究のためのフィールドワークが必要になり、シドニー市北部のある地域福祉センターを訪ねた私は、早速次の日から食事配達ボランティアをすることになりました。しかし、このボランティア活動が私のオーストラリアでの社会生活を一変させ、外国人留学生として地域社会に影響力をもち、市民参加するエンパワーメントとなるとは全く想像していませんでした。
翌朝、センターでは、ボランティアのルークさんが活動内容などについて手取り足取り教えてくれました。彼は台湾人で、午前中は同センターで配食ボランティア活動、午後は英語学校、夜は病院のレストランで働いていました。最近子供ができたそうで、生活は苦しく忙しいはずなのになぜ続けているのかと尋ねてみると、「地域のいろんな高齢者の方々に会えるし、なによりも自分たちのコミュニティ活動に参加、貢献できるから。」大学院生活で少し英語に慣れてきたとはいっても、地域の人たちとの初めての活動には、大きな精神的不安がありました。しかし、ある中国人のおばあさんがほとんど英語が出来ないにもかかわらず、買い物補助のボランティアに参加し、周りのボランティアのサポートを受けながら活動していることを聞き、自分にも何かができると感じました。そして、配達中に英語が分からず困っている私を見て、同行のボランティアやセンタースタッフたちは、「英語ができなくてもだいじょうぶ。ボランティアの名札と'笑顔'を見せればいいんだよ」と勇気づけてくれました。
その後私は週3回、食事配達と買い物補助にボランティアとして参加しました。地域の訪問指定宅を一軒一軒訪ねると、多くの高齢者の方々がボランティアの配達を心待ちにしていました。ルークさんの言葉どおり、私の胸の名札を見ながら「ハロー、あなたの名前はしんね。ありがとう。」と、本当に暖かく迎えてもらいました。こうした言葉や文化の違いを越えた人間としてのふれあいの一瞬が、私にこの地域で様々な人々と協同する市民であることを初めて気づかせてくれたように思います。そして、私たちボランティアは活動終了後に各高齢者の状況を地域福祉センターのソーシャルワーカーに報告する責任があり、公共サービスと地域の高齢者を結ぶコミュニケーションの橋ともなっていたのです。また、大学以外の地域住民との出会いは、私自身のソーシャルネットワークを広げ、ボランティアおよびスタッフとのミーティングを通して、センター全体の事業内容の政策決定プロセスにも直接参加することができました。もちろん私の英語力では積極的に発言することはできませんでしたが、センター事業全体が地域住民とともに、自分自身とともに動いていることを実感できたことは大きな喜びでした。
このコミュニティセンターには、92歳になるフレッドさんの他、多くの高齢者のボランティアが活動していました(注2)。団体の運営にあたる理事のほとんどは、地域の退職者によって構成されており、事業内容も地域住民のだれもが参加できる総会でもって決定されていました。多くの高齢者ボランティアは、理事会やボランティアミーティングなどの政策決定プロセスに積極的に参加し、ボランティアというサービス供給の援助者として活動に参加していると同時に、年齢に関係なく自分たちの地域については自分たちが決める権利があることを自覚し、実践しているアドボケイタ―(注3)としての役割を担っていました。一方、サービスを利用している高齢者は、アンケート調査を除けば政策決定プロセスへの参加機会は限られます。そのアクセス問題を補い、地域全体の利用者のニーズを把握するためにも毎日型配食ボランティアのインフォーマルな情報収集機能が重要になっていると思います。
ボランティアと参加的市民権
外国人留学生としてオーストラリア市民権のない私は、投票行為を通して社会政策(注4)に対する提言や批判を行うことは不可能でした。しかし、1年間の活動を通して、ボランティアであるということは、市民権を持たなくとも、地域社会の政治的、社会的活動に十分参加する能力を持ち、実質的な'市民権'を持ち得たのではないかと思っています。
間接民主主義による代議政体は、必ずしも真の地域参加を市民に保証するものではありません。本来権利侵害に対するチェック機能となるマスメディア、法、情報公開が効果的に働かない場合、逆に市民をディスエンパワーメント(無力化)する可能性も持っているのです(注5)。そこで、直接民主主義の実践である政策決定プロセスへの住民参加は、権力集中を防ぐための地方行政およびサービス供給機関からの自然的情報開示システムとなり、現代の社会福祉政策においてもっとも重要な施策の一つになっています。一方、ボランティア活動を通して地域住民が地域福祉活動に直接参加することで、住民がサービス提供者に情報公開を求め、それに応じて開示していくという従来の一方的なプロセスを利用せずとも、その活動プロセスにおいて、クライアント等のプライバシー情報の除けば、必然的に情報が共有しやすい状況になっていきます。より重要なことは、権力を地域住民であるボランティアに委譲しつつ、情報公開が進むことで、地域住民と社会サービス供給機関のパートナーシップを基軸とした信頼関係の向上につながり、さらなる住民参加が広がっていくことです。地域住民のボランティア活動および政策決定プロセスへの参加は、サービスの質の向上という利用者の利益のみならず、コミュニティ全体の地域福祉の向上にも寄与しているのです。つまり、人々が地域社会生活のすべてにおいて日々それぞれの意見を声にする機会と責任を与えられ、活動に参加し、どのような社会に私たちが生活していきたいかを決定するという地域福祉活動こそが真の民主主義の実践および市民としての権利であり、オーストラリアでのボランティア活動は、私に改めて'市民権'の意味を教えてくれたように思います(Noble 1991)。
以上の私の体験は、日本において考えてみると同じ体験ができるかどうか疑問があります。私見ですが、日本のボランタリズムは、社会全体への強いエンパワーメントとして、地域社会の参加的市民権として、十分発展してきていないのではないかと思います。阪神大震災後、急速にボランティア人口が増加したのは事実ですし、1998年の特定非営利活動促進法施行後、数多くのNPO法人が設立されていますが、その多くは行政に変わる社会サービスの新たな供給主体としての役割を強めているように思います。そのボランティア活動ブームは、参加的市民権として社会政策にエンパワーメントするには至っていないのではないでしょうか。また、これまでの市民権は受動的な社会サービスの受給資格という面に重点がおかれてきましたが、今後積極的な行為主体、社会福祉の行政過程や計画課程、さらには立法過程にも参加する主体としての市民権が必要です(注6)。オーストラリアで私が体験したように、ボランティアが従来の間接民主主義システムの枠を越えた'市民権'となって、社会政策の決定プロセスに重要な影響を持つ社会へのエンパワーメントとなっていくべきではないかと考えます。
おわりに
オーストラリアでの1年間のボランティア活動から学んだことはたくさんありますが、もっとも感銘を受けたのは高齢者の方々のウェルビーイングに対する強い意志と精神力でした。私はボランティアとして高齢者を助ける活動をしているつもりでしたが、実際はいつも私が高齢者の方々のやさしさや思いやりに励まされ、外国人留学生としてオーストラリアで生きていく力を与えられていました。在宅福祉サービスを利用している一人暮しの高齢者の方々は、一見公共サービス又は地域の人々に多くを支えてもらいながら生活しているように思えます。しかし、オーストラリアの高齢者の方々の人生を楽しみ、社会参加する意欲は、年齢を重ね、障害を持つようになっても衰えることなく、そのようなウェルビーイングの精神が国籍や民族にとらわれないボランティア精神と地域社会の絆につながっているように思われました。
注
(1)ステュワート・リー氏は、社会のおけるエンパワーメントのプロセスを論じる手段としての伝記文の重要性を指摘している。エンパワーメント(empowerment)の概念には二面性があり、様々な分野において援助を必要とする人々が自ら問題解決へ参加できるようにするための直接援助的権利擁護としてのエンパワーメントと、地域社会において市民自身が市民権を含めた主体としての力を醸成していくための間接援助的主体形成としてのエンパワーメントがある。本稿では主に後者の意味で用いる。
Rees, Stuart (1991), Achieving Power: Practice and policy in social welfare, Allen & Unwin, Sydney, 21p.
三浦文夫、右田紀久恵、永田幹夫、大橋謙策編、地域福祉事典、中央法規、1997年、216〜217P。
(2)Encel, Sol and Nelson, Penelope (1996), Volunteering and Older people, Consultative Committee on Ageing, 28P.
NSW州の配食サービスボランティアの56、2%が60歳以上の高齢者であり、50歳以上では89%に達する。
(3)本稿におけるアドボケイターは、福祉専門職として高齢者を援助する弁護、代弁者ではなく、高齢者自身が(地域の利用者・要支援者を含めた)自分たちのための主張を行う政策提言者という意味である。ジム・イフェ氏は、専門職によるアドボケイト機能が要支援者のエンパワーメントを妨げる可能性を持っており、地域住民および要支援者自身が可能な限り、社会政策に対して自分たちの考えを主張するべきだと提言している。
Ife, Jim (1995), Community Development: Creating community alternatives ―vision, analysis and practice, Longman, South Melbourne,216p.
(4)日本では「社会政策」という言葉は、経済学の一部門としての階級対策、労働者政策という概念で用いられてきた歴史がある。しかし、本稿における「社会政策」は、イギリスで発展したソーシャルポリシーの概念であり、社会保障、医療保健、対人福祉サービス、住宅などを含む広義の社会福祉である。本稿においては、社会サービス供給および政策決定プロセスへの市民参加が地域の福祉政策全体に影響していることを説明するために「社会政策」を使用した。
Marshall, T.H.(1974), Social Policy in the Twentieth Century, HutchinsonPublishing Group (T.H.マーシャル著、岡田藤太郎訳、社会(福祉)政策―二十世紀における―、相川書房、1990年)
(5)前掲(3),75p.
(6)伊藤周平 (1996)、福祉国家と市民権、法政大学出版局、150〜158p。
参考文献
Cowen, The Rt. Hon. Sir Zelman (1996), "More Activeand Informed: Australian Citizenship for the 21 century", Citizenship in Australia: democracy, law and society, edited by S. Rufus Davis, Carlton, Vic. Constitutional Centenary Foundation.
Noble, Joy (1991), Volunteering : A Current Perspective, Volunteer Centre of South Australia, Adelaide.
Rubinstein, Colin (1995) "Australian Citizenship and Multiculturalism",Citizenship and rights in multicultural societies, edited by Michael Dunne and Tizian Bonazzi, Keele University Press, Keele, England.
★なお、このホームページ上でもオーストラリアの高齢者福祉事情を見ることができ
ます。http://www.s.fpu.ac.jp/home/u-funaki/www/index.html