塩野研究室の研究テーマ(詳細)

1. 作物への耐湿性の付与を目指した根の酸素通気制御機構の解明

イネをはじめ多くの湿地に生育する植物は、土壌中の酸素不足を補うために、茎や根に酸素を運ぶ管(通気組織)をつくります(図2)。さらに、根の基部からの酸素漏出を防ぐことで、呼吸活性の高い根端まで効率的に酸素を届けることで適応しています(図3, ROLバリア(酸素漏出バリア、Barrier to Radial Oxygen Loss)。私たちの研究室では世界でも数カ所でしかつかえない、根からの放射的酸素放出量を直接的に定量できる酸素電極を使うことができます。この酸素電極を使って、イネのROLバリアの形成プロセスが通気組織の発達プロセスとは異なることを明らかにしました(Shiono et al. AoB. 2010)。それから、これまではっきりとしなかったイネのROLバリアを構成する成分について分子生物学的な観点から説明することを試みました。具体的には、ROLバリアを形成している組織だけをレーザーマイクロダイセクションで集め、マイクロアレイによって網羅的に発現を解析しました。発現解析の結果、ROLバリア形成時にリグニンよりもスベリンの生合成に関わる遺伝子が数多く働くことが分かりました(Shiono et al. JXB. 2014)。続いて、ROLバリア形成時に遺伝子発現が上昇した遺伝子の機能解析をすることにしました。先の報告で同定した遺伝子の一つ、RCN1/OsABCG5というABCトランスポーターの遺伝子の変異体である、rcn1変異体を水田で育てるとその根が異常に短くなることが分かりました。詳しく調べてみるとrcn1変異体はROLバリアの構成成分と言われているスベリンが根の外側に形成できず、根の外側のアポプラスト輸送バリアの機能が失われていることが分かりました(Shiono et al. Plant J. 2014)。さらに、私たちは、RCN1遺伝子を含むスベリン生合成遺伝子とスベリン層の正常な構築を植物ホルモンのアブシジン酸(ABA)が正に制御することを発見しました(Shiono et al., New Phytol. 2022)。それまで、バリア形成を制御する植物ホルモンは知られておらず、この発見によりバリアの形成制御メカニズムの一端が初めて明らかになりました。

私たちの最終目標は「オオムギなどの耐湿性の低い作物を水田転換畑でも順調に育つようにする」ということです。そこで、耐湿性の高いイネのROLバリア形成機構を理解する傍ら、畑作物の耐湿性を高めるために重要な因子、遺伝子を耐湿性の低い植物と比較することで明らかにしようと試みています。耐湿性の低い植物として材料としているのは同じイネ科で湿害が問題となっているオオムギ、加えてイネ科植物の新しいモデル植物であるブラキポディウム(Brachypodium distachyon)です。特にブラキポディウムは新しい実験材料であるために、耐湿性の評価がなされていませんでした。そこで、耐湿性の強化の研究に先駆け、私たちはブラキポディウム(Bd21)が他の畑作物同様に耐湿性が低く、通気組織やROLバリアの形成ができないということを確認しました(Shiono & Yamada. Plant Root. 2014)。これらの材料を利用して畑作物への耐湿性の付与を目指しています。

図2. 通気組織 通気組織は地上部と根をつなぐ細胞間隙である。
酸素は通気組織の中を濃度勾配に応じた拡散により移動する。植物種によって全く形成しないもの(Aミナトカモジグサ, Brachypodium distachyon)、土壌が過湿状態になると誘導的に形成するもの(B オオムギ, Hordium vulgare)、過湿状態にならなくても排水性の良い土壌状態で恒常的に形成するものがある(イネ, Oryza sativa)。Bars = 100 μm. 引用元: 塩野克宏. ROLバリア: 湿生植物の過湿状態の土壌への適応を支えるしくみ. 根の研究 25(3): 47-62(2016).

図3. ROLバリアの機能
過湿状態の土壌では,酸素は通気組織を通じて地上部から根端まで輸送される( 黒矢印) .酸素は拡散によって通気組織内を移動するため,根の基部において酸素は根端方向に向かうだけでなく,放射状酸素放出(radial oxygen loss, ROL として根から放出される(緑矢印).非湿生植物は根の基部から放射状酸素放出として失われる酸素が多いために,根端まで供給できる酸素量が少なくなる(A) .湿生植物(wetland plants)は根の基部側に放射状酸素放出を抑制するはたらきをもつ「ROL バリア(barrier to ROL) 」を形成することで根端までの酸素の長距離輸送を可能にしている(B, 赤色線) .ROL バリアは植物の湿害抵抗性を高める3つの機能を果たすと考えられている(紫色) .まず,根端に届けられた酸素は活性の高い細胞の呼吸に利用される(a) .さらに,根端から酸素を放出することで還元化した土壌を酸化する.これによって,有毒物質を無毒化し,根端の保護を可能にする(b) .一方,根の基部側では,ROL バリアの主要成分である疎水性の極長鎖脂肪酸であるスベリンが外皮において,酸素の流出を妨げるだけでなく,有毒物質の根への流入も防ぐと考えられている(c) .引用元: 塩野克宏. ROLバリア: 湿生植物の過湿状態の土壌への適応を支えるしくみ. 根の研究 25(3): 47-62(2016).


2. 野生種のもつスーパー耐性遺伝子の探索

イネは耐湿性の高い植物ですが、洪水が頻発する地域や湿地には栽培イネを凌駕するような強い耐湿性形質をもつ植物がいるかもしれません。その発想に基づいて、私たちは乾燥した場所から湿潤な場所まで広く分布するヒエ属、野生イネの耐湿性形質を評価してきました。ヒエとアマゾン川流域に自生する野生イネ(Oryza glumaepatula)の中には水が多い環境にならなくても常にROLバリアを形成できる種がいることを発見しました(Ejiri & Shiono, Front Plant Sci, 2019; Ejiri et al. Plants 2020)。現在、Oryza glumaepatuaが持っている恒常的にROLbarrierを形成する遺伝子の単離に向けて精力的に研究を進めています。


図4. アマゾン川に自生するOryza glumaepatulaの根系
イネが栽培化で失った、スーパー耐性遺伝子が野生イネには眠っているかもしれない。

3. 2次元酸素オプトードによる非破壊酸素イメージングによる植物の低酸素環境適応の研究

2次元酸素オプトードは非破壊で空間的な酸素分布を定量できる新しい光技術です。2次元酸素オプトードは室内の実験室、植物工場だけでなく、野外でも原理的に利用できる技術です。私たちは、植物を対象にした2次元酸素オプトードシステムの構築に、国内で初めて成功しました(塩野. アグリバイオ. 2022)。

私たちは2次元酸素オプトードを使って、イネの水中での発芽過程における酸素獲得プロセスを可視化することに、世界で初めて成功しました(図5, Shiono et al., Front Plant Sci. 2022)。これにより、50年前に予想されたシュノーケル効果を実証しました。現在、私たちは、この技術を湛水土壌における植物の適応応答の理解に応用しています。 これまでに不可能であった、自然状態での時空間的な根の振る舞いを根圏環境の相互作用の観点から理解を試みています!


図5. 2次元酸素オプトードでとらえた子葉鞘のシュノーケル効果。
Scale bar = 10 mm.

4.植物ホルモンの量と分布をイメージングする技術開発
植物ホルモンは多くの遺伝子の働きを調節する陸上植物が普遍的にもっている低分子の化学物質です。その局在や量的変化が植物のかたちづくりや植物の環境応答の制御に関わることから、これまで量と分布を同時に検出する技術が求められていました。従来から行われている免疫染色は分布はわかるものの定量性がないという問題。FRET法は生きた細胞のまま定量的に観察できるものの、顕微鏡下での観察や形質転換の必要から使用範囲が限られてしまうという制約がありました。分子のイオン化手法と質量分析装置の進歩により物質の量と局在を可視化できる質量分析イメージングが植物でも利用できるようになってきました。そこで、私たちは最新の質量分析イメージングにより、アブシジン酸(ABA)とサイトカイニン(tZ)を同じ切片から同時検出することに成功しました(図6; Shiono et al. J Agric Food Chem. 2017)。複数の植物ホルモンの同時イメージングはこれが世界初の報告でした。質量分析イメージング技術を駆使して、これまでに私たちは7種類の植物ホルモンとその関連物質の同時イメージングに成功しています(Shiono and Taira, J Agric Food Chem. 2020)。質量分析イメージングは野外で育つさまざまな植物を対象にしても植物ホルモンの分布と局在を可視化できる技術です。私たちは、この技術を応用して、植物の環境適応の研究を展開しています。

図6.イメージング質量分析による2種の植物ホルモンの同時イメージング
水耕栽培したイネの根端の縦断切片をつくり、切片上のアブシジン酸(ABA)とサイトカイニン(CK, trans-Zeatin)の同時検出をした。


5. 畑作物の湿害抵抗性を高めるための新しい栽培技術の開発
植物ホルモンのひとつであるエチレンは通気組織(図2)の形成など、植物の湿害抵抗性に関わる応答に関わることが知られていました。湿害を被りやすいオオムギなどの畑作物は過湿ストレスを受けてからエチレンを発生させ、通気組織の形成を開始します。そのため、しばしば過湿環境への順化の遅れが致命的になります。そこで、過湿ストレスを受ける前にエチレン発生剤であるエテホンを根に処理することで、オオムギの湿害抵抗性を高められるかどうか検証しました。その結果、エテホンを処理することで根の張り方が変化し、湿害抵抗性が高まることを明らかにしました(図7; Shiono et al. Plant Prod Sci. 2019)。ただし、これは水耕液を用いた実験室内での結果なので、土壌や圃場で実用できるのか?検証を進めています。

図7.エチレン発生剤であるエテホン処理による湿害軽減効果
過湿ストレスを被る前にエテホンを処理することで、根の活性を維持して湿害による根腐れを軽減することに成功した。写真は水耕液を使った過湿ストレスを7日間行ったオオムギの根の様子。根の活性はTTC染色により可視化した。高い呼吸活性を示す部位が赤く染色されている。


6. その他のテーマ
・乾燥ストレス、塩ストレスへの順化に対して根のスベリンのバリアがどのように寄与するのか?
・湿生植物や水生植物がもつ湿地環境に適応する未知の戦略に関する研究