戦時共産主義・ネップ経済政策 

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戦時共産主義(1918−1920)と

ネップ(新経済政策)(1921−1925)

 

浅井健(ASAI Takeshi)、1999年5月25日

1.戦時共産主義

戦時共産主義とはどういうものか ...   1918年の10月革命以降の内戦期におけるボリシェヴィキの一連の諸政策の総称である。戦時共産主義は全面的内戦により強制措置であるという面とともにそのような事態の中でも社会主義への移行を準備する一連の政策を急速に押し進めるという別の面も持っていた。
1918年以降の全面的内戦の展開 ...        内戦の始まりはボリシェヴィキによる10月革命による武装蜂起が始まりとも言えるが、むしろ当時のロシアにおける政情不安、反革命的扇動よりもむしろ経済的不安こそがその根源的原因と言える。内戦期にはドイツ、イギリス,フランス,アメリカ,日本が干渉しモスクワ周辺四方が戦場となった。
1920年以降の内戦の終結と戦時共産主義の矛盾...          戦時共産主義において最も被害を受けたのはロシアの人口の八割強を占める農民であった。1919年ボリシェヴィキは「穀物割当徴発制度」が実施された。この制度により農民は余剰作物を強制的に没収された。これにより農民の耕作意欲は著しく減少した。あたかも戦後の中国における人民公社における農業政策のように。ボリシェヴィキの政策自体が内乱を促進していた面もすくなからずあったような気がする。

2.ネップ(新経済政策)

ネップとはどういうものか?
レーニンのネップを行った意図は?
1921年以降のネップ採用のソ連史における位置
1921年から1923年におけるネップへの移行
一国社会主義とネップ

レーニンはこの政策を共産主義の放棄としてではなく、彼は社会主義の実現は現実には理想どうりにはいくはずがないと承知しており必要に応じて臨機応変に対応しなければならないことを熟知していたのである。つまり彼の思考のベクトルは依然共産主義に向いていた、と考えて問題はないと思われる。

Vocabulary 5 (Senji Kyousanshugi to NEP)

 

ロシア経済ゼミの参加者の皆さん、こんにちは、MORDVINTSEV Alexei です。

NEP(新経済政策)について述べたいと思います。

ネップ政策は当時の政治経済情勢をある程度改善するために導入された一時的、及び強制的な政策でした。これはBol’shevik党のたった1つの正しい方針だったと思います。ネップの導入によってBol’shevik党の社会主義に関する考え方は変わりませんでした。なぜかと言うと、ネップの内容は以前に行われたBol’shevik党 のすべての政策・思想・スローガンに矛盾しています。ですから、Bol’shevik党はネップ政策を中途で停止してしまいました。したがって、こうしたネップ政策の背後にある本質をみると、ネップ政策停止の本意は社会主義の「建設」継続にあったと言えます。ネップは明らかに社会主義導入より市場経済に適しています。

 

MIROSHNICHENKO Marina、ZOLOTOUS Ivan

ネップ(新経済政策)について

  1. 戦時共産主義の食料徴発制度の導入によって農民の不満が高まって、社会情勢が深刻化しました。1920年―1921年に全国的に多数の農民の反乱が起こりました。食料徴発制度の変更は避けられないものになりました。
  2. 1920年4月にBol’shevik党の第10大会の決定によって食料徴発制度のかわりに農業生産増加を刺激するのにふさわしい「食料税」が導入されました。これがネップ政策の最初の段階になりました。
  3. 産業分野においては1921年の初めの時点で生産活動は不可能となりました。政府は国有化された企業に生産計画を指摘していましたが、生産に必要な材料・財源を供給していませんでした。1921年の夏から産業分野で経済活動の自由化が始まりました。企業数の40%(労働者人数は80%)の企業は国家計画によって活動を続けましたが、残りの60%(およそ7000社)、特に中小規模の企業が長期的にロシア国内・海外の経営者にリーズされました。ネップ政策によってロシアの工業・農業生産は1913年(戦前)のレベルに近づきました。これは、ネップの成功といえますが、1925年からはロシアではネップのかわりに中央集権的な工業化政策が導入されました。したがって、ネップ政策は「失敗で終わったロシアをBol’shevik型社会主義から西側型社会主義へ切り替える政策の試み」だったと思われます。

 

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